AI で作られたものに対して、脊髄反射で拒否反応を起こす人がいる。
「AI っぽい」
「人間味がない」
「温かみがない」
「AI に作らせるなんて終わってる」
「そんなものは本物じゃない」
そういう反応を見るたびに、私はかなりラッキーだと思う。
なぜなら、そういう人がいる間に、こちらは先に慣れることができるからだ。
AI アレルギーを起こしている人が感情的に文句を言っている間に、こちらは触る。
作る。
試す。
売る。
失敗する。
また作る。
つまり、旗を取りに行ける。
AI 化は避けられない
まず前提として、あらゆるものの AI 化は避けられない。
これは好き嫌いの話ではない。
便利だからだ。
人間は一度便利なものを知ってしまうと、基本的には戻れない。
水道を知った人間は、わざわざ毎日井戸に水を汲みに行かない。
湯沸かし器を知った人間は、毎回薪を焚いて湯を沸かさない。
スマホを知った人間は、ガラケーと紙の地図と時刻表だけの生活には戻らない。
テクノロジーとはそういうものだ。
最初は文句を言う人がいる。
怖がる人がいる。
拒否する人がいる。
「昔の方が良かった」と言う人がいる。
でも、結局は便利さに負ける。
AI も同じだ。
デジタルは冷たい、という時代があった
レコードから CD に移行したときも、似たような話はあった。
「デジタルは冷たい」
「アナログの温かみがない」
「音楽が軽くなった」
「本物ではない」
そういうことを言う人はたくさんいた。
でも、今どうなっているか。
CD どころか、音楽はほとんどストリーミングになった。
もちろん、今でもレコードを買う人はいる。アナログの良さを愛する人もいる。それはそれでいい。
でも、社会全体は戻っていない。
みんな普通にスマホで音楽を聴いている。サブスクで聴いている。プレイリストで聴いている。
「デジタルは冷たい」と言っていた人たちも、結局デジタルの便利さの中で生きている。
スマホも同じだった
スマホもそうだ。
昔は、ゲームなんかするなと言っていた老人が、今ではスマホでゲームをしている。
ネットなんて危ない。
携帯ばかり見るな。
機械に頼るな。
最近の若者は、という顔をしていた人たちが、今では普通に LINE を使い、YouTube を見て、スマホ決済をしている。
結局、受け入れるのだ。
最初に拒否反応を示していても、便利さが生活の中に入り込めば、人間はそれを使う。
人間は思想で動いているようで、かなりの部分は便利さで動いている。
AI アレルギーは、普通の反応ではある
だから、AI アレルギーを起こす人がいること自体は、別に不思議ではない。
人間は新しいものを怖がる。
これはある意味、DNA レベルの反応だと思う。
見慣れないもの。
理解できないもの。
自分の仕事や価値観を壊しそうなもの。
今まで信じていたものを揺さぶるもの。
そういうものに対して、人間はまず警戒する。
だから、AI に拒否反応を起こす人がいるのは当然だ。
問題は、その反応のまま止まってしまうことだ。
怖い。
気持ち悪い。
人間味がない。
危険だ。
規制すべきだ。
そう言っている間に、世界は進む。
戻れるのか、という話
AI が危険だとか、AI を規制しろとか、AI で作ったものは気持ち悪いとか、いろいろ言う人がいる。
では、戻れるのか。
戻れるわけがない。
一度この便利さを知ってしまったら、もう無理だ。
文章が一瞬で出る。
画像が作れる。
コードが書ける。
調べものができる。
企画を壁打ちできる。
動画も音楽も作れる。
一人でプロダクトまで作れる。
これを知った後に、全部手作業に戻るのか。
戻るわけがない。
水道を知った人間が井戸に戻らないように、スマホを知った人間が紙の地図だけに戻らないように、AI を知った人間は、AI 以前には戻らない。
これはもう新しいインフラなのだ。
新しいインフラには、早く慣れた人間が勝つ
AI は単なるツールではない。
新しいインフラである。
水道、電気、インターネット、スマホと同じように、いずれ当たり前になる。
なら、やるべきことはシンプルだ。
早く慣れること。
早く使い倒すこと。
早くその上で何かを作ること。
早くコンシューマーではなく、プロバイダーになること。
多くの人が AI を消費者として使う。
文章を書いてもらう。
画像を作ってもらう。
調べものをしてもらう。
仕事を少し楽にしてもらう。
でも、本当に強いのはそこではない。
AI インフラの上で、商品を作る側に回ることだ。サービスを作る側に回ることだ。仕組みを作る側に回ることだ。
消費者ではなく、提供者になる。
ここに大きな差がある。
AI アレルギーの人がいる間に、差がつく
AI アレルギーの人たちは、AI を見て文句を言う。
こちらは、その間に触る。
彼らが「人間味がない」と言っている間に、こちらは商品を作る。
彼らが「危険だ」と言っている間に、こちらは仕組みを作る。
彼らが「規制すべきだ」と言っている間に、こちらは市場を探す。
彼らが「昔の方が良かった」と言っている間に、こちらは新しいインフラに慣れる。
この差は大きい。
新しいテクノロジーは、最初に触った人間ほど有利になる。
なぜなら、最初はみんな下手だからだ。正解がない。作法もない。市場も固まっていない。だからこそ、早く触った人間が自分で感覚を作れる。
AI アレルギーの人たちが足踏みしている間に、こちらは経験値を積める。
だからラッキーなのだ。
感情で止まる人間は、歴史から学んでいない
「AI で作ったものには温かみがない」
そう言う人は、歴史から学んでいない。
新しいテクノロジーが出るたびに、人類は同じようなことを言ってきた。
写真が出たとき。
録音が出たとき。
映画が出たとき。
テレビが出たとき。
デジタルが出たとき。
インターネットが出たとき。
スマホが出たとき。
そのたびに、古い価値観の人間は言う。
これは本物ではない。
人間味がない。
危険だ。
文化が壊れる。
昔の方が良かった。
でも、結局は普及する。
そして、普及した後に残るのは、「それをどう使ったか」の差だけだ。
感情で止まる人間は、毎回同じ負け方をする。
だから、AI アレルギーはチャンスである
AI アレルギーを起こす人がいることは、チャンスだ。
彼らが拒否している間に、こちらは進める。
彼らが気持ち悪がっている間に、こちらは慣れる。
彼らが文句を言っている間に、こちらは作る。
彼らが倫理を語っている間に、こちらは金が動く場所を探す。
これは陣取り合戦だと思っている。
早く旗を取った人間が強い。
AI に対する拒否反応は、いずれ薄れる。そのうち、みんな普通に使うようになる。
でも、そのときにはもう差がついている。
最初から触っていた人間。
最初から作っていた人間。
最初から売ろうとしていた人間。
最初からプロバイダー側に回ろうとしていた人間。
そういう人間が、先に場所を取っている。
感情で止まる人間は、操りやすい
少し強く言えば、AI アレルギーを起こす人間は操りやすい。
なぜなら、感情で反応しているからだ。
気持ち悪い。
怖い。
人間味がない。
温かみがない。
危険だ。
そういう反応をしている人間は、自分が何に反応しているのかを理解していない。
テクノロジーを見ているようで、自分の不安を見ているだけだ。
そういう人は、新しいルールを理解するのが遅い。金の流れを読むのも遅い。自分が消費者として取り込まれていることにも気づきにくい。
だから、AI を作る側、使い倒す側、仕組みにする側から見ると、かなりやりやすい。
感情で止まる人間が多いほど、冷静に動ける人間には余白が生まれる。
AI は受け入れるかどうかではない
AI は、受け入れるかどうかを議論する段階ではない。
もう使われる。
あらゆる場所に入ってくる。
あらゆる制作物に混ざる。
あらゆる業務に入り込む。
あらゆるサービスの裏側で動く。
その流れは止まらない。
なら、問うべきことはひとつしかない。
自分は消費者で終わるのか。
それとも、提供者になるのか。
AI アレルギーを起こしている人は、最初から消費者側に回っている。
文句を言いながら、いずれ使う。
拒否しながら、いずれ依存する。
気持ち悪がりながら、いずれ AI 化されたサービスを使う。
そうなる。
なら、こちらは先に作る側に回ればいい。
AI アレルギーを起こす人がいるおかげで、こちらはやりやすい
AI に拒否反応を起こす人がいる。
それは自然なことだ。
でも、こちらからすればチャンスでしかない。
彼らが止まっている間に、こちらは進む。
彼らが嫌がっている間に、こちらは慣れる。
彼らが文句を言っている間に、こちらは作る。
テクノロジーは、便利なら必ず浸透する。
そして、一度浸透した便利さから人間は戻れない。
だから、AI アレルギーを起こす人がいる今こそ、動くべきだ。
彼らが「温かみがない」と言っている間に、こちらは AI で商品を作る。
彼らが「人間味がない」と言っている間に、こちらは AI で仕組みを作る。
彼らが「規制すべきだ」と言っている間に、こちらは AI で金が動く場所を取りに行く。
AI アレルギーを起こす人がいるおかげで、こちらはやりやすい。
歴史はいつもそうだった。
新しいインフラを先に受け入れた人間が、次の場所を取る。