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発見

AIゲームは遊ばせるな、5分教材として売れ

Claude Codeだけでゲーム本体とアートまで作った投稿を見て、個人AI制作の勝ち筋は「作品」より「売れる型」にあると感じた。

AIゲームは遊ばせるな、5分教材として売れ
Reddit/ClaudeAI
https://www.reddit.com/r/ClaudeAI/comments/1v00q2p/i_made_this_game_and_art_with_just_claude_code/

刺さったのは完成度より、担当範囲の広さだった

RedditのClaudeAIで見かけた「I made this game AND ART with just Claude Code (Fable 5)」という投稿は、タイトルだけで二度見した。ゲームを作った、だけならもう珍しくない。けれど「AND ART」とわざわざ入れているところに、作り手の生々しさがある。

ゲーム制作で個人が詰まるのは、コードだけではない。絵、UI、演出、素材の統一感、画面の寂しさ。このあたりで急に手が止まる。プログラムは動いた。でも見た目は仮素材のまま。noteやXで「作りました」と出すには弱い。そこでアートまでClaude Codeに持たせた点が、今回の見どころだと思う。

もちろん、公開情報だけでは人間がどこまで手を入れたのかは分からない。Claude Codeだけ、と言っても、指示文、修正判断、採用する絵柄の選別は人間側に残るはずだ。そこを差し引いても、「個人が一人でゲームの総合制作を回す」方向へかなり寄っている。昔ならコード担当、絵担当、企画担当に分けないと難しかったものが、少なくとも試作品としては一人の机に戻ってきている。

真似したいのは、AIを絵師扱いしない割り切り

自分が盗むなら、たぶんここだ。AIに完璧なアートを描かせるのではなく、ゲームに必要な粒度まで絵を落として使う。立ち絵を名画にしない。背景を超美麗にしない。プレイヤーが理解できる記号、世界観が崩れない色、ボタンやアイテムとして成立する形。そこで止める。

AIゲーム制作で失敗しがちなのは、コードも絵も音も全部「すごい」にしようとして、いつまでも完成しないことだと思う。この手の作品で重要なのは、絵の品質そのものより、画面内のトーンがそろっていることだ。手描きの神絵1枚より、同じ温度の素材が30個あるほうがゲームは前に進む。

Claude Codeを使ったなら、手順としては、まず小さいゲームループを作り、画面に必要な素材リストを出させ、足りない絵を生成または編集し、動かして違和感を潰す流れに見える。これは推理だけど、少なくとも「最初から大作を作る」より、「5分で触れるものを何度も直す」ほうがAIには向いている。AIは壮大な構想より、近い失敗の修正に強い。

個人制作の出口は、ゲーム販売より先に教材化だと思う

考えたいのは、この型をどこに売るかだ。Steamで売るインディーゲームを一人で作れる、という話にすると急に競争が厳しくなる。面白さ、ボリューム、レビュー、宣伝。全部が必要になる。個人AI制作の最初の出口としては重い。

でも、5分で終わるシミュ教材なら話が変わる。学校の授業で使うミニゲーム、地域店の新人研修、接客の分岐練習、防災やマナーの選択式シミュレーション。ここでは大作感より、「短時間で状況を体験できること」に価値がある。ゲームとして100点でなくても、教材として使えるなら払う人が出てくる。

今回の「ゲーム本体とアートまでAIで作った」という話は、そこに直結して見える。Design、Code、Art、Reviewを小さく分けて、AIに順番に回させる。人間は題材、判断、現場のリアリティを入れる。これなら個人でも、白ラベルの研修ゲーム、授業用サンプル、受託前のデモ、素材集つきテンプレートまで持っていける。

遊んで終わりのAIゲームは、見た瞬間は楽しい。でも作り手としては、そこから一段ずらしたい。誰が払うのか。何の時間を短くするのか。どの画面を差し替えれば別業種に売れるのか。そこまで考えると、Claude Codeで作った小さなゲームは、作品というより営業資料に近くなる。

引っかかるのは、レビュー役を置かないと全部ゆるむこと

微妙な点もある。AIでコードとアートを一気に作れるようになるほど、作品の中にあるズレに鈍くなる。ボタンの言葉が少し変、絵柄が途中で違う、ルール説明が足りない、ゲームとして何を学べばいいのか曖昧。このへんは、作った本人が一番見落とす。

だから自分なら、Claude Codeに全部やらせるとしても、最後にReview担当のエージェントを必ず置く。コードのバグを見るレビューではなく、プレイヤー目線で「5分で目的が伝わるか」「画面だけで次に何をするか分かるか」「教材なら学習ポイントが残るか」を見る係だ。

AI制作は、手を動かす速度が上がるぶん、判断の雑さもそのまま増幅される。ここを放置すると、量産されたけど使えないミニゲームになる。逆に、レビューの型まで持てる人は強い。ゲームを作れる人ではなく、使える小さな体験を納品できる人になる。

今回の投稿を見て、自分が作りたくなったのはファンタジーゲームそのものではない。地域のカフェ向けに、クレーム対応を3分で試せる分岐ゲーム。塾向けに、歴史の出来事を選択で追う授業ミニゲーム。そういう地味な売り物だ。派手なAIゲームより、そっちのほうが個人には現実味がある。